
『私は不才ながらも先王に信頼をいただき、先王の命で動いていました。ゆえに周りの人々の心に従うわけには行きません。そうしてしまってはかえって先王のご威光に傷をつけることとなってしまうでしょう。私はそれを恐れるあまり趙へ逃げたのでございます。
今、恵王様は私が趙へ亡命したことを非難いたしますが、それはなぜ私が先王から信頼をいただいたのか、またなぜ私が先王に仕えることにしたのかご存知ないからだと思われます。賢主は臣を用いるに私情をはさまず、その功績に応じて官職を与えるといいます。
つまり能力を認めて臣下を用いる君主は大業を成し遂げ、その徳に感じ慕うものは名臣といえるでしょう。先王は世の一般の君主に比べ、計り知れない志をお持ちでございました。これを遠方からでも見ることができたゆえ、燕に参った次第でございます。
先王は私のような他国者を過分にお取立てくださり、私もまたその恩に応えようと努力いたしておりました。先王は強国斉に対し積年の怨みを晴らされ、恥を雪がれました。さらに崩御の際にも国内に乱れがなかったのは先王の功業です。
私の何よりの願いは先王のご威光をたたえ、ご遺業を世に知らしめることです。私が讒言に負け罪に陥ることが何よりも恐れることです。嫌疑をかけられたのを口実に燕を討とうなど、義としてできることではありません。
古の君子は友と絶交してもその人と悪口は言わず、真の忠臣は国を去ってもその身の清さを弁明しないのが習いであると学んでおります』
三国志の英雄であり稀代の軍師、諸葛亮孔明はこの楽毅の手紙に大きな感銘を受け、自身の人生に大いに活かしたと言い伝えられています。
